カテゴリ:足跡( 6 )

 

エゲレス語

e0062454_22383378.jpg

仕事の一環で、英語を話す機会を見つけた。嬉しい。
そうしょっちゅうでは無さそうだけど、ワリと恒常的に要されるかも。
んで、実は結構重宝されるかも。

思えば中学時分、両親の気紛れみたいなもので"我が家もホストファミリーとして外国人留学生を受け入れてみようか"という、見方によっては乱心とも思える決断(両親というか、家族一同ビタイチ英語を喋れない)により、市内広報に載っていた近場の大学にその旨申し込み、当時の狭い世界観から、我が家に滞在するのは当然ヨーロッパ人だろうと思っていたら、実際にやって来たのはインド人だった。カレーの?ターバンの?タージマハルの?

当初は当然の如く当惑を隠せなかったが、そもそもの就学先は米国の名門ニューヨーク大学だとは当時の本人の弁。今となっては嘘か誠か定かでは無いが、留学チーム内の成績(確か50人ぐらい居た)ではみるみる頭角を現し、気がつけば終始成績トップ。あれよという間に日本語も上達し、そんなある日に届いたインドの実家からのエアメール。開いてみると彼の御両親と思われるインド人夫妻が何やらワニ園みたいなところでにこやかに写っており、インド人留学生本人に訊くと"あ、コレはアフリカの有名な動物園。ボクも行った事がある"というような返答。アフリカ?インド人が?

当時18歳だった彼は、訊くとそれまでに旅行なのか何なのか日本を含め30カ国近くの国・地域に訪れた事があり、更に訊くと実は東京の目黒でイトコだかが宝石だかを扱ってるとか。良く分からないスケールというか世界観に、インド=貧しい国、という認識しか持っていなかった我々こと家族一同が"御両親のお仕事は何なの?"と訊くと、"うーん…マハラジャかな?"と答える彼。
マハラジャ?職種が?

そんなこんなで3ヶ月の留学期間が満了し、成田空港まで家族一同で見送りに。涙腺が緩んだり。
暫くしてニューヨークからエアメールが。開くと中には自筆の拙い日本語で書かれた手紙。見ると、拙いながらも、しかし確実に我が家に滞在していた頃よりも語彙もろもろは上達を見せており、何だかそれまで持っていたいろんな固定概念を小気味良いほど片っ端からぶっ壊してくれた(良い意味で)、彼はいま何処で何をしてるのかなと脳裏をチラリ。

そのインド人留学生が滞在していた頃、他の留学生メンバーとも自然と顔見知りになり、何度か市内中心街のイタリアンレストランでラザニアとかパスタを喰ったり、昼間っから洒落たバーで酒を呑んだり(当時ボクは中学2年でした)してて、なかでも特に仲良くなったアフリカ系アメリカ人の兄ちゃんにもらった音楽テープが所謂ヒップホップで、それから歌詞を読みながら延々熟聴したのを始まりとして、年齢が長じるにつれ、居酒屋で知り合ったアラブ人なんかとハシゴ酒したり、クラブとかで知り合ったアフリカ人やアメリカ人(恐らくホモセクシャル)の家に遊びに行って得体の知れないカクテルを散々呷ったり、渋谷のインドカレー屋で知り合った全身タトゥーのブラジル人(上腕部に"わたしはろべるとです"と平仮名で彫ってあった)と新宿新都心を遠くに眺めながら一服したり、当時好きだった女の子とのデートをすっぽかされ、アテも無く代々木公園内をチャリンコでフラフラ走っている時にたまたまやっていた日本人の路上ライブの観衆に居たアメリカ人を掴まえて、公園内のホームレスのおっちゃん等もをまじえてヤケ酒したり…というような過程を以って、特に励んで勉学に勤しんだのでは決して無く、気がつけばなんとなく喋れていた言語です。自分にとって英語とは。

だから今でも語彙に相当ムラがある。逆に言えば、まだまだ成長の余地アリ。
が、しかし現状のタイ語スキルに比べれば、まだ英語の方が喋れる気がする。


てか、ふと思い出したので備忘録扱い。以上でした。
e0062454_2248044.jpg

[PR]

by shallwegoout | 2008-04-23 22:26 | 足跡  

知らんよ

e0062454_375283.gif

ここ最近のEXCITE BLOGのサーバーだかのゴタゴタで、参考程度に2ちゃんの関連スレッドをブラウザのタブに開きっぱなしにしておいたのをヒョッコリ発見。せっかくなので久しぶりに見てみたんですな。そしたらアクセス解析云々とあったので熟読。そもそも画像掲載容量を増やす為だけにネームカードとやらを設置したクチでそんなん知りもしなかったんだけど、別窓を開いて見てみると、そこには確かに"アクセス解析"の項目が。へえ。

なにぶん始めて見る画面で目新しく、例によって例の如く半笑いの表情で閲覧してたんだけど、目を見張ったのは検索ワードランキングとやら。こっちに来たばっかの頃、まだWIFI業者に止められておらずP2Pで共有しまくって結果感染したと思われる"hacked by godzilla"が、どういうワケだか毎月の検索ワードトップを飾ってるのはいいとして、その他の検索ワードのしょうもない事。。。"ラオス ゲイ"だの"ビエンチャン オピウム"だの、良く分かんないところでは"インド北部 カシミール ネット環境"やら"タニヤ 携帯 画像 メモリ"なんてのもあって脱力すること必至でしたが、なんというか、ある意味ブログ内容の身の丈にあった検索ワードでもあるような気がするのもまた事実。"司法試験 浪人 自律神経"とか"暮らしの知恵 圧力釜"とかの検索で引っ掛かるような内容では決して無い。てか、今までどんだけブログ機能に無頓着だったんだ!と自己対話したくもなる今日この頃。考えてみりゃ飛び飛びとは言え2年近くブログをやっておきながら、ついさっきまで検索の傾向とか全く知らなかったワケだから当然、ヒット数を鑑みて対策というかエントリーのウケを狙うとかの視点がそもそもの初めから欠落していたのであって、つまり単純にブログという個人スペースを使って興味がある事だけを書き散らしてきた、今日までの足跡がなんとも偲ばれますな(他人事)。

いっそのこと狙いを絞りに絞って、"しょうもない検索ワードで引っ掛かるブログと言えば…アレでしょ?"みたいな代名詞を冠してみたいなとも一瞬思ったが、これ以上不名誉の重ね塗りは出来れば避けたいところなので惜しいところだがあえなくボツ。てかさ、多分こういうアクセス解析機能って今日びのブログだとデフォなんでしょ?なにやら見てみると、検索ワードの他にもリンク元URLとかがあるんだけど、つまりそれって、匿名なのをいい事に何度もアクセスしまくったブログなりに、しかしそれは完全にオレの思い違いで、そのブログのアクセス解析にリンク元としてバッチリ表示されまくってる可能性があるワケでしょ?だとしたらもう恥ずかしいやら何やらで、ドMかつ羞恥系のオレは思わず悶絶…オヒヒ!とか、そんなのは正直どうでもいいのでもう寝ます。うっかり永眠しないよう気をつけよう(独り言)。
[PR]

by shallwegoout | 2007-07-15 03:15 | 足跡  

あの頃ボクは

e0062454_2026979.gif
やあどうも。国外渡航への希求から悶々とし続けているわたしです。蒸し暑いにもホドがあるが、果たしてキミらは元気ですか?
でね、もはやK点越え、悶々というか鬱々と日々を過ごしているんですが、メールボックスに旅行中の日記の下書きめいたものを発見、誤字脱字の類を加筆修正してアップしようかなと。
で、以下。



某月吉日、訪ミャンマー後譚「VISA取り物語」


…今は昔、VISA取りの翁というものがありけり。

ハイ、言われなくても分かってます。そんな物語はわたし自身聞いたことすらない。あのですね、要はこのところ錯乱気味でして。あの類の錠剤はどこにやったかな。
まあ冗談なんですけどね。ホントにどうもすいません(林家三平師匠ノリで)。

えー、タイ滞在のVISA取りついでにタイ北部もチョロッとうろつき童子してきました。何箇所かまわったんですが、その中でも印象深かったのがメーサロンという町。というか村。
ここは山間に拓けた小さな村落。で、そこの住民の多くが元中国籍、しかし現在ではタイ国籍。何故?

ハイ、ここから歴史のお勉強。いいですか?ついていけない子は置いていきますよ。


…1940年代の中国内戦後、四川省・雲南省方面に残留していた国民党軍93師団とその家族は、他の同士が蒋介石に率いられて台湾へと移動していくなか、中国国内を政権を得た中国共産党軍に完全包囲されてしまうも徹底坑戦を誓い陸路ビルマ(当時)へ不法越境。
その後1960年代にビルマ政府軍との戦闘を経てタイ北部へ逃れ、全盛期を迎える大麻薬生産地ゴールデントライアングル(タイ・ラオス・ビルマの三国間国境に位置。牛耳っていたのは中華系ビルマ国籍の麻薬王、クン・サ)にて、組織を維持する資金調達の為ケシ・アヘン・ヘロインの生産・取引に携わり、更にクン・サ私設軍隊とも戦闘。

しかし時代の流れ。それまで大陸反攻の機が熟すのを待って軍事訓練を継続して行っていた同組織も、その必要性が無くなった事を悟り1987年にタイ政府からの組織の武装解除の求めに応じ、引き替えにタイ国籍を取得。ちなみにこの間の移動の手段は馬または徒歩、という凄まじい過去を持っている人々です。現在では国を追われる事もなく、特産物となった茶葉の生産に精をだし、至って平穏な生活を送っているとのこと。いやぁ良かった。


…で、行ってきました→わたしの印象→とんでもねェほとんどココは中国だよ!(ドリフ調。そして実際に中国に行ったことは無い)。彼等が移住してからまだ50年も経っていないため、町並みは云わずもがな、学校での授業もタイ語ではなく中国語(主に雲南方言)で行われているという徹底ぶり。彼等のおふくろの味である雲南四川の料理屋と、ここに住む中華系の人の約三分の一がムスリム教徒のためかムスリム食堂がチマチマと点在してました。でオレが選んだのは麺食堂。まるで意識しなかったつもりが、さも当たり前に王道を外してしまう自分自身に対し小一時間ほど説教を浴びせたくなるのはこれから約30分後。

然程待つこともなくハラを空かしたオレの目の前にでてきたのは、なにやら奇っ怪なカスタードクリームの様なルックスのペースト状のソレに、茹で置きの素麺のような貧弱な白麺をブチ込み、醤油やら唐辛子やらでお好みに味を調整した後にド突き回しながら食す、というリーベンレン(日本人)の小生には何とも面妖かつ不可思議なイチモツ。おばちゃんに訊くと、雲南一地方のローカル麺だそう。味の方はと言えば、しばらくタイ飯に馴染んでしまったわたしの舌先には辛いとか酸っぱいとかの味の取っ掛かりがなかなか感じられず、なんだかハッキリしないボンヤリした味の中、前述のカスタードクリームに勝るとも劣らぬヌッタリモッタリとした粘着質な重い食感があいまって、何を言うわけでもないが終始「雲南め!」と、今思えば呪詛の言葉を胸中に抱きながらも何故か完食。四千年の業か?
完食したくらいだから不味くて食えんというわけでは勿論ないが、かと言って美味いモノでもないという、何ともやりきれない始末の悪い一品でした。

他には、タイ各地ではどちらかというと逼塞した生活を送っているアカ族・リス族等の山岳少数民族が、ここでは互いのマイノリティならではの必然性からかさしたる違和感もなく、さも自然に中華系の人々と共生していたのが印象的であったかなと。ガイドブックにあった「道端の露店で中華系の人と山岳少数民族の人が交代で店番」みたいな光景は見れなかったものの、なるほどそういった雰囲気は充分に伝わるモノがありました。

云えどもその特異な場所柄、少なからず観光地化していて然程物価も安くは無かったため一泊しかしなかったのですが、帰り際に山を降りるためのソンテウ(ローカルに於ける、いわばバスのような交通機関)乗り場にて、運転手に訊くと出発は50分後とのことで手持ち無沙汰、待っている間ブラブラと宛てもなく歩き回っていると、民家の軒先で椅子に座りダベっている地元の人の一団に声を掛けられたわたし。どうやら「おい!旅行者だろ?いいからコッチ来て座んなよ。果物食う?」とわたしを誘っている様子。水菓子(フルーツ)好きの当方、断る理由はありません。遠慮なく甘えましたよ、ご好意に。

近寄ると「座、座(ズァ、ズァ)」と笑顔でのおもてなし。テーブルの上には皿に盛られたパパイヤ、中国名物ヒマワリの種、あとは何だかよくわからん木の実が並ばっています。みな一様にタイ語で「アロイ(おいしい)」と勧めてきたのでオレ、感謝の気持を多少の驚きと共にお返ししようと「謝謝」と答えると「おー!!」と、期待通りのリアクション。その後も調子に乗って「好吃(おいしいよ)」とか言ってると、本気で喋ってきました。彼等の母語たる中国語で。
ジャッキー・チェンの「酔拳」とかも日本語吹き替え版しか観たことが無いわたし。そもそもウケというかサプライズ狙いで言ってみただけですから、んなモン分かるわけが無い。ので慌てて英語に切り替え「キミ、それはいかん。ワシ分からんがな」と襟元を正すと、うち一人の地元男性だけが簡単な英語を解する様で、「ああそうなんだ」とわたしを責めるワケでもなく、しかしやや落胆顔。

彼等タイ語なら喋れる様で(泊まっていた安宿のオーナーはタイ語が喋れず、代わりに英語が堪能でした)わたしにタイ語で質問を浴びせ、分かった質問の答えとして「コン イープン カップ(あたしゃ日本人ですよ)」と返したところ、うち別の男性が満面の笑顔でこちらに銃を向けるジェスチャー、曰く「そうなんだ!一昔前だったら撃ち殺してるね。元敵国だものハハハ」みたいな中華的ブラックジョークも飛び出し、わたしも「何バカな事を言っとるんだねキミはハハハ。あ、コレ喰っていい?」などと、出された果物とお茶をつまみながら見ようによっては殺伐とした歓談。で、その場はやや盛り上がったものの、言語の違いの壁はやはり高かったのかもしくはブラックジョークが過ぎたのか、徐々に言葉少なに。
後になって普通に考えれば、そもそも互いに面識の無い相手なんだからそんなに話すような共通事項も無いのであって、流れとしては至極必然だったのかもしれないが、とにかくその時は一度は盛り上がった場のその後の有り様に人並みの責任を感じ、とりあえず言語の壁をなんとかできればと筆記用具を準備、内心で筆談を試みるという腹を抱えるもその後これといった質問もチャンスもなく(簡単な見振り手振りはありましたが)一人意気消沈。だめだコリャ、とまたもやドリフ。

出発時間の少し前、子供らにせがまれて紙にわたしの名前を書いたところ、和やかにマニキュアを塗りあっていた女の人達のうち一人が難しげな顔で繁々とソレを見つめ、中国語での読み(失念しました。残念!)を教えてくれました。オレ中国名をゲット!と再度盛り上がったあたりで「出発の時間だから行くよ」と別れを告げると「また来なよ!」と笑顔で見送ってくれる彼ら。わたしも「再見(またね)!」とその場を離れたんですが、ずっと長い間手を振り続けてくれたのもなかなか嬉しかったですね。


とまぁ、なんだかんだ言いながらも実際には言葉が通じないなりに終始良い雰囲気で過ごしたんですな。おそらくはキャラの勝利。とにかく生きてりゃいい事もあるもんだ。

という訳でオススメですよメーサロン。タイに来たら是非。本稿脱稿。




…ね。なんだか文面にも快活さが溢れているよなあ。あ、もうこんな時間。寝なきゃ。
[PR]

by shallwegoout | 2006-07-02 20:27 | 足跡  

その夕日がやけに目に沁みたから

e0062454_1521411.jpg

高校の時の修学旅行が「アメリカ」でした。ハイ。


わたし、生意気にも私立の高校に通ってまして。部活動(運動・文化)全般で全国的に有名な高校。
実は最近、ひょっこり知り合いになった人が、偶然にも同じ高校(加え、課・クラスまで(!!!)学年は一つ違い)出身であるという事を唐突に知ったのですよ。で、その人と当時の四方山話をしてるうちに「かの高校を受験・合格、かつ入学後3年間も通ってしまったのは、我が人生において最大の恥辱、そして失敗だった」という結論を神の啓示を受けたが如く悟った訳で。まあ今更なんですけど。


思い起こせば入学式、着慣れないブレザーに袖を通し、これからの3年間に不安と期待の入り混じった気持ちで初の登校。ね?青い春、ですよ。で式典入場。したらお決まりの理事長(学園傘下に5つだかの高校・専門学校・大学を経営。教育者というよりも教育事業家)の祝辞。しかしここで放送部のアナウンス。急用の為本日はお越しになれない、との事。で登場したのがその妻こと副理事長。
成り行きがよく分からないながらに壇上を見ているわたし。すると副理事長、開口一番に
「ええ、皆さん。わたしは先の第2次世界大戦で、日本は負けるべきではなかった、と思うんですよ」
と平静な表情で切り出しました。見聞きしている我々に一切の気の迷いも感じさせず(少しは迷えよ)、それまでの義務教育で教わった歴史観にしょっぱなから楔を打たれ、軽くショック状態にある我々新入生の事などお構い無しに、彼女は妄想めいた持論を展開していきます。まさに"独壇場"。


しょっぱなからこの調子だったんで、その後の高校生活はまあ、酷いモノに。どう酷いかといえば、まあ分かり易く言うところの「軍隊」ですよ。アナクロ。そしてマルチな一面もチラホラ。

入学するとすぐに、担任となった教師から臆面も無く、昨今のマルチ商法が可愛く思えるほど執拗に「どこでもいいからとにかく部活に入りなさい」と月~金の週5日に渡り(学校だからね)洗脳メッセージ。学校的には、大きなセールスポイントというか広告塔である「部活動事業」に、フレッシュな人材をリクルートしたいんでしょう。まあ生命線ですからね。しかし大人げないです。半ば強制。強引矢の如し。この時点で担任教師などによる執拗な口撃(部活にも入らずダラダラと高校3年間をおくる者は人生の落伍者だ!!!ぐらいの事は平気で言います)に耐えられない者は、早くも自主退学する事に。入学後すぐに休みがちな生徒はレッドサイン。担任が毎日といっていいほど生徒自宅まで訪問し、残留へと説得工作にかかります。まあ長期の方がコッテリと搾り取れるからね。主な手法は親御さんに対してもっともらしい事(せっかく入学した→高い入学金を払ったのに…や、学歴に傷が…など)を繰り返し、どうにか「親・教師混合チームVS生徒」という構図を作ろうとします。泣き言をぬかす生徒を孤立させようと。まあでも、どうしても無理、と強情を張る生徒に対しては、「そこまで言うのなら…」と自主退学容認。っていうか容認ってなんですか?生徒の自主的選択の権利には含まれないの?
そんな感じで高い入学金だけ払って来年の進学先または働き口探し。経営者側のフトコロは痛まない。たった2ヶ月くらいで数十万×退学者人数分がそっくり入るんだもの。ラクチンだよね。


で、わたし。中学時代に陸上部に所属、県の大会まで行った事のあったわたしは、「ならば」と思い陸上部の説明を聞きに行くと「基本的には全員丸坊主」との三行半の宣告を受け、精神論などと非科学的な理由で若者から好きなスポーツを選択肢から除外させるという人権軽視・及び蹂躙を含む問題に対処する為、アムネスティに駆け込むことを一時考えるも妥協案として次点のアメフト部に入部。理由は、足の速さが活かせる、モテる、坊主にしなくてもよいという3大セールストークに若さゆえ屈してしまった訳。情けない。

で、案の定。練習が終わるのは夜10時とか11時とか。土日もガッチリ練習。プライベートなんかありゃしない。80年代のアイドルみたい。先の甲子園で問題になった体罰なんか当たり前。顧問が練習中に選手を呼び、アメフトのメットを脱ぐ様に指示。するともう決定です。殴る。いわゆる先輩からも度々。いつか適切な手段で復讐してやろうとは思っていますが。
わたしが一度、振りかざした拳から身をかわそうとしたら顧問「貴様、神の手を避けるか!」との発言。言っとくけどコレ、わたしが入学したの「平成」ですよ?

これらが全て、「学校の宣伝」の為だったかと思うと、今更ながら腹が立ちますな。


他にも、校門を入って直ぐの所に建っている理事長の胸像に、運動部の学生が朝の登校一番に大声で「おはようございます!!!(上半身を約45度ほど前傾させる深い御辞儀付きで)」とか。まるで北朝鮮における金日成。「百戦百勝の偉大なる首領様」ですか?というかそもそもアレ、石像ですやん。返事は返ってこないのだよ?とかわたしが思ってみても、その光景は止む事は無かった。恐らく現在でも。


卒業した後にも、何かに理由をつけてやはり臆面無く「寄付金」を募ってみたり、わたし目線から見れば厚顔無恥な所業をひたすらに繰り返すこの高校。大いに恥じます。恥じてます。
なんか、某政党に多数の票をまわす某宗教法人や自然派製品を売り文句にする養鶏業あがりの某会、または世界規模でマルチにネットワークを展開する某アメリカ系企業みたいじゃないですか。突っ込みどころは挙げればこんなモンじゃ…キリが無いのでやめますが。



で、アメリカ。

まあ、LAから西海岸をアチコチ、そしてメキシコにチョロッと日帰りで入ってLAに戻って帰国、っていう10日程度の旅程。何でこんな事思い出したかって言うと、さっき、部屋から夕暮れを眺めていると、ふと机の上段の目に付きにくい所に当時のパスポートが放置してあったのを発見してしまったから。予期せず不運にも。


先日までタイを中心に東南アジアを、わずか20万円ちょっと(帰りの航空費含む)でサラリと、しかし8ヶ月に渡り放浪してきたわたしですが、当時の10日間ほどの旅程にかかった金額はこんなモンじゃ無かった筈(多分3倍以上)。お父さんお母さん、ごめんなさい。ボクが圧迫してました。家計を。

当時のパスポートを開いてみると、メキシコの滞在許可の期間がおよそ1ヶ月ほどあったのをこの眼で確認。あれ?滞在したのはたしか1日にも満たない数時間だけだったハズだけど…?なんかパチモンの時計や指輪を値切ったりボラれたりと、くだらない事この上なかったような…。こんなしょうもない体験学習の費用として、日本からのメキシコVISA申請代行に一体幾ら掛かったのであろう、と。まあ気にはなりますが答えは霧の中。一寸先は濃霧です。

今になって(長期の単身海外放浪を経て)考えてみれば、高校時代の数少ない、比較的良い思い出だったこの修学旅行自体「しょうもない!!!」との思いに駆られ、居た堪れなくなってBlogにアップした次第です。今のわたしにできる事は、この学校がこれ以上繁栄しない様にお百度参りをする位。わたしの様な思いを持つ若者を、これ以上増やして欲しくないのだよ。大体さあ…(以下略)。
[PR]

by shallwegoout | 2005-09-17 21:44 | 足跡  

夏は過ぎ行く。僕らを残して。

e0062454_18321184.jpg

涼しくなってきました。


先日、部屋の掃除をしてたら思いもよらぬ所から数枚の原稿用紙が。見ると、高校の時かなんかに夏休みの課題をまるでやってこなかったペナルティとして、担任から命ぜられた反省文(課題をやってこなかった日数分=30枚ほど)の一部。
毎日一枚ずつ、序盤はソレっぽく書いていたんだけど、じきに担任も別に読みたい訳じゃない(当たり前だね。単にペナルティなんだから)事が分かってきて、悪ノリし始めちゃって。読んでみたらあまりのくだらなさに茫然自失。以下一部抜粋。



タイトル…ヘクトパスカルとは


「パリーンかガシャンかはっきりしろよ!」
友達のお兄ちゃんが僕に言う。ほら、そうこうしてる内にお父さんさ。波平、と呼ばれるのも悪くない。走るよ。
その日は朝からおなかが痛かったので、木に登って発射したら満月だった。まさか、と思い、一人ジャズ空手を演舞した。一生の思い出。
「何、もういっぺん言ってみろ」
顔のホリが深くなって正解だったね。インテリアにもってこいだ。どうしても分かんないのは「バリカン」の語源だけど、始めのうちはどうでもいいのさ。そしたらすぐに会えるもの。吐き気がするね(嘲笑)。

ところで(上記を参照)、スイスは永世中立国ですが中国の場合はどうだろうか。一緒に考えてみよう。そもそもガッチャマンとタイムボカンに共通する事項は両者とも製作がタツノコプロであるという紛れも無い事実から、ウルトラマンとは一線を画するという事に全てが起因するというのが現在の定説である。しかし私達にはそれほどの柿は作れない。あるのは桃だけだ。犬畜生。


良い日旅立ち、グッドラック。レッツゴーイングマイウェイ。

要は一番大事なのは「日本人の心」って事マゲ。

まとめ
気圧の単位

平成○年 9月吉日



…アタマが痛くなってきました。全部、夏のせい。
[PR]

by shallwegoout | 2005-09-15 19:19 | 足跡  

足跡回顧

e0062454_1342170.jpg

週末に、いわゆる親友と再会。しかしヤツ、わたしの中では「友人」とかそういうカテゴリーでは無いような距離感、強いて言えば「まるで似てない兄弟」みたいな感じ。
そんな感じだから、必然的にネタになるような珍事などは何一つ起こらず、ひたすらダラダラと心地よく過ごした訳で、因って今回はトピックとして取り上げるのは無し。また近々に遊びませう。

で、別れてから何をしようかなと思案した結果、そういえばしばらく海外に行くっていうのでストップしっぱなしだった携帯e-mailを復旧させようと、新宿区の学生街のvodafoneショップへ。30分ほど待たされた以外は、然程不満も滞りも無く完了。で?

自宅に帰ってきて、e-mail関連という事でそろそろいっぱいになってきたhotmailのメールボックスでも見直してみようと思い立って、振り返ってみる事に。

現地滞在中、レポートと称して友人知人に嫌がらせとも思える長文メールを送り続けてきたわたし。いつか送りつけようと、下書きフォルダに保存しっぱなしで完全に忘れていた作成中(いつの話だ)なヤツを不覚にも発見。日の目を見ることなく風化してくれれば良かったものを迂闊にも発掘してしまったとあって、無理矢理見なかった事にするのは何だか尻の座りが悪い様な按配に。

で、以下に一部公開。ボツ原稿です。



…2005/4/30 バンコク。アパート近くのネット屋から

ビザの更新の為、またも懲りずにミャンマーに行ってきました。4回目だか5回目だか…正直もうよく分かんないです。わざわざパスポートを引っ張り出してスタンプを数えるなんて殊勝な気も、僭越ながら小生には是とてもじゃないが面倒くさいことこのうえ無いと、どうやらサラサラやる気無し夫な様子。まあ、いつもの事です。

しかしながらいつもの「メーサイ⇔タチレク」は流石に飽きた&芸が無いので、やはり一日入国には違いないもののココは一つ気分転換を、と選んだ矛先は「メーソート⇔ミャワディ」。さきの「メーサイ⇔タチレク」がタイ・ミャンマー間陸路越境の「横綱」とすると、今回のポイントは「小結」くらいのランキング(2005年オレ調べ)。

この国境、なかなかミャンマー中央政府の統治が及ばず、つい最近まで「KNU(カレン民族同盟)」だか何だったかのミャンマー反政府組織が拠点にしていた、という事もあり、なお現在でも地味ながらポツポツとタイ側の難民キャンプへの襲撃があったりと、先の幕内番付けにもナルホド納得でゴワスごっつぁんと、まあ頷けようかというもの。なによりわたしが向かう2週間ほど前にも、「かの地で先日、ミャンマー側から武装勢力によると見られる小規模な銃撃アリ」と、こっちの英字新聞バンコクポストにて写真付きのトピックを目にしたばかり。ね?いったいどうなんでしょうか。というか、どうなってしまうんでしょうか、わたしは。果たして行っても良いんですかね?

しかし、バンコクから7~8時間(比してメーサイまでは13時間ほど)で行けるというお手軽さ加減と、見るだけでお腹イッパイ・そして特に買うものも無さそうなタチレク国境マーケットで、やたらにしつこい売り子から非も無く逃げ回るのはもう沢山だ!!!と、ややうつむき加減で絶叫(ジェームス・ブラウンの半分ぐらいの声量で)、リカバリーしようと試みながらもなかなか興奮冷めやらぬなか脳味噌を振り絞ってみたところ、「アハハハ…なあに、それらは詰まるところ、タイやミャンマー政府からまともに相手にしてもらえない反政府勢力の云わば〈おとなしめで皆と遊ぶのがちょっと苦手な子が耳目を集める為か何なのか、日頃あまり輪に入れない鬱憤も手伝って突如、ちょっとした事をきっかけに皆がドン引きする程泣きじゃくりながら両手を振り回し大暴れ!!!してはみたものの、早い段階で制圧されてしまい結果としては小暴れ〉的な、北朝鮮にも通じそうなアンビバレント含みの自己主張みたいなものであろうさケセラセラ。あれ、てふてふが飛んでゐる」と、漸く出てきた割には待った甲斐の無い、ヒューズが飛んでしまいあとの祭りな楽観論(突き抜け)。

貴重品袋にパスポートを詰め、わざわざデカイ荷物を持って歩くのもカッタルイので小振りのバッグにガイドブックと自宅近くの屋台で買った晩メシ・飲料水・加えてアパートを出てしまってから始めてその存在に気が付いた、一体いつどんな理由で詰め込んだのかサッパリ分からない「針金製のハンガー2本」という、我ながらやはり軍事国家ミャンマーをナメてる様にしか思えない軽装。

軽量化に成功しすぎて耐久性のヤバくなったミニ四駆が、普通めのコーナーにもかかわらず酷い勢いでコーナーアウトし、これまた見事に大破!という、心中に何故だか浮かんだ不吉なイメージを振り払おうと
「気にする事は無い…只のネガティブ・インスピレーションだ…ネガティブ…気にする事は…いつものヤツだ…」と呪文の様に呟きつつ、こういう状態専用の錠剤を口いっぱいに頬張りガリガリと噛み砕きながら(嘘ですよ)オレ、いざ出陣。


地下鉄に乗って、お馴染みのバンコク北部方面バスターミナル(モーチット・マイ)へ。チケットを取り、車内に乗り込みます。時間が遅かったせいか、座席の埋まり具合は九割の入り、といったところ。車掌にチケットを披露し、出発進行。レッツラゴー。

わたしの隣に座る、20代半ばから後半と見える男性、覗き見た表情から何とは無しにフランクな人柄が窺え知れます。その横顔に内心で戦々恐々なわたし。というのも口を訊かず黙っていればモノホンのタイ人からタイ人と間違われる事の異常に多かった、しがない日本人ことボクなのですが、しかし何かの拍子に外国人、ましてや経済大国イープンの人という素性がバレてしまった暁には、「なんだジャポネ旅行者か…待てよ、それならココは一つお近づきになって…一山ガッポリ頂いてやろうではないか!どうですか皆さん!!!」というような職業の人達に、かような淡い期待を抱かせるのも何だか悪いなぁ…というか、実際そんなリスクを犯して仕事をするにはあまりに割の合わないローリターンな対象なんです、わたしは。その辺りを分かっているんですか貴方?ねえ?
という比較的ショボイ理由で極力カミングアウトは避けたいんですよ。

しかし、こういうときに限って的中してしまうわたしのシックス・センス。やはりと言うか何と言うか件の男性、極めてにこやかに「パイ ナイ カップ(どちらに行かれるんですか)?」と訊いてきました。内心に中国人ノリで「アイヤァ」とか思いながらも、平然を装い「ジャ パイ ミャワディ カップ(ミャワディに行くのです)」と回答。しめしめ、これで済めば良いんだけどな…とのささやかな期待も束の間、希望の灯火を吹き消す様に「????」と、悲しいかな僅か二言目の質問で撃沈。分かりません。そもそもこの状況下で欺き通そうと思ったのが間違い。バレるに決まってるじゃないか。

で、早くも「ポム ペン コン イープン カップ。ガップ プー パーサー タイ マイ ダーイ カップ(わたし、こう見えて実は日本人なのです。そしてタイ語は喋れないのです)」とネタ晴らしをしなくてはならない羽目に。
ああそうでしたか…みたいな大体予想通り(ああ、そうなんだ…みたいな、道中いい話し相手になるかと思ったのになあ、といささか残念に感じている様な按配)のリアクション。勝手に申し訳なく思っていると、しかしここからが想定外。

男性「クン プー パーサー アンギッ ダーイ マイ カップ(それでは、あなた英語は喋れるんですか)?」との突然の問いに慌てて「え?ダーイ、プー ダーイ カップ(ええ、まあ)」と曖昧に答えると、男性、これまたやたらと流暢な英語を返してきました。予想外の展開にオレ、ビックリ・the・仰天。


旅序盤、フィリピン国籍と名乗る自称ファミリーの一件(未遂。それどころかオレ、なんだかんだとタクシー代とか奢らせたけど)があった為、「タイでやたらと流暢な英語を喋る人を安易に信用するべからず」という黄金の自戒を得たわたし。よって話半分に聞いていたものの、感覚的なもので「恐らくこの人は大丈夫であろう」と、警戒のレベルをトップからセカンドギアにシフトダウン。どうやらここでは、コーナーアウトはせずに済む様な予感。


そんなこんなで、どちらかというと和やかムードの中、無事に何事も無くメーソートに到着。現在地を確認しようとガイドブックの地図を開くと、ページに踊る「メーソートにバスターミナルは無い」との記載。あれれ?じゃあココはどこですか?そしてわたしは誰ですか?と曇天模様の空の下、閑古鳥が雄叫びをあげて棟梁跋扈しそうな空気の中、ガイドブック片手に存在する筈の無いバスターミナルのベンチに座り(朝の7時)途方に暮れているわたしはどうやら「27才・日本人男性」で間違い無いようです(所持パスポート参照)。

見るとこのバスターミナル、割合と最近に作られたようで、察するに町並みの変化にガイドブックがついていけなかった様子。鼻でもかんでクシャクシャに丸めて投げ捨て唾を吐き、20回前後ストンピングを喰らわしたい衝動を抑えて、再度現在地を確認する為歩き回ってみる事に。

タイを旅した事がある人なら分かるかもしれませんがボーコーソー(バスターミナル)というものはどの街でも大抵、ちょっとした町外れにあるんですよね。例に洩れず、ここでもそうでした。残念な事に。

30分ほど歩き回ってようやく分かったのは「街の中心地までは、どうやら遠そうだなぁ…(遠い目)」という事ぐらい。3~4km先に見えるソレ(らしき)に向かい、とりあえず歩いてみましょうよ社長!と自分を励ましながら自前の足で行く事を決心(というか、それしか無いからね)、そして歩き始めること早10分、後方からあまり元気の無いクラクションの音。振り返ってみるとソンテウが真っ直ぐわたしに向かってきます。辺りを見渡す限り、通りを歩く通行人はわたし一人。ふと気が付けばロック・オンされていたようです。

私のすぐ傍らに停車&手招きするドライバー。仕方が無く、すっかり自信を無くしたタイ語で「ポム ジャ パイ モエイ カップ。ロット ニー パイ マイ カップ(わたしは些末些細な理由でモエイに行くふつつか者ですが、この立派なお車はそちらへは向かわれるんでゲスか)?」と質問。

普通、人はこのような質問を受けた場合、先方の職業も加味して考えれば「え、どこだって?モエイ?ああ行くよ。乗ってくかい?まあよ、あれだ。こんな天気じゃあ商売上がったりだよ。気も滅入っちまってしゃあないわな正味」か、または「残念だな坊主。こっちも商売だ。そんな辺鄙なところにゃ行きやしねえよ。悪いが、他を当たってくんな。アディオス」ぐらいのおよそ2通り程度しか無い筈。しかしこの運転手、何を勘違いしたのか又はわたしが間違いを犯したのか(恐らく後者)、やたらにまくし立て口調でおよそ3分間に渡り道順の案内というか説明というか、まあ講釈じみたものを始め、全然喋ってる意味が分からないし(わたしの語学力不足の為)、多分こりゃダメだ訊く人を間違ったなとか思いながらも分からないなりに適当に相槌をうっていると彼、一段落終えたところで「まぁいいや。じゃ、そこに乗って」みたいな感じでわたしに乗車を促し「え?本当にコレで行けるの?」という表情を隠しきれないわたしに構わず、そのあまりに動じないキャラクターにがぶり寄りで押し切られるカタチで乗車。まあ、迷子になるのも楽しいかな?とか思ってたんだけど。ここに来て、またもや意外な展開・パート2。







…と、ここまでで全体のおよそ1/3といったところ。
わたし自身の自虐指針値も、これ以上はちょっと…と赤信号。
この場で一部公開したという既成事実を以って、ガス抜きというかボツ供養というか、しめやかかつ速やかに削除したいと思います。単純にスッキリさせたかったんだよ。合掌。
[PR]

by shallwegoout | 2005-09-11 20:49 | 足跡